日本人はなぜ、恵まれているのに学ばないのか

日本人はなぜ、恵まれているのに学ばないのか

④日本人は学ぶことに価値を見出せない

 

一方、日本人は「学ぶことの意味や大切さを忘れている」のだろうか。そうは思わない。

 

学術的分野では、常に一定数の人間が真剣に学び、発見し、成果を残しており、

 

日本人科学者がノーベル賞を受賞したり、毎年革新的な電化製品が発表されたりしているのは我々の知るところである。

 

彼らは真摯な課題(改善)意識を持ち、科学的視点から革新を支えているのである。

 

しかし残念ながらいつの時代も同じようにそういう人間の割合は一握りにすぎない。

 

そういうことではなく、漠然と大きな視点で見て「皆でもっと貪欲に勉強しましょうよ。」ということであれば、

 

それについても「ちゃんとしてるよ(笑)。」と答える。誰もが人間関係や、有名人や、流行や、洋服や、趣味や、異性に対する知識だったら興味があり学んでいる。

 

それが比較的簡単に手に入り、自己に有益な情報だからだ。

 

日本人女性であれば、美容や恋愛に興味を持っている人が多いが、関連市場も不況知らずの産業となっている。

 

化粧品の中でも、全ての女性が使用しているものは限られる。

 

いわゆる基礎化粧品といわれるもので、ファンデーション(下地)などがその代表格だ。

 

ファンデーションに求められるのは、「肌の地ならし」で、肌の荒れや吹き出物を隠す効果や、肌への負担の少なさが求められる。

 

シアーカバーは天然ミネラル成分のマイカを含む画期的な商品として注目を集めている。

 

カバー力も高く、ナチュラルなメイクになると人気だ。

 

化粧品のほかにはアンチエイジングも女性の重要な関心だ。

 

女性の属性に関わらずほぼ全ての人は若ければ若いほどよいと考えているからだ。

 

ファンデーションを兼ねたプルオイプレミアムワンのような商品が人気となっている。

 

人の不作為作為の決定は、簡単に言えばそのとき想定される(手間暇難易度)と(有益度)を費用対効果の秤にかけることで決定される。

 

カムクワンバの秤は風力発電装置を作ることを決定したが、我々ならどうか考えるまでも無いだろう。そんなことは必要ないのだ。

 

ついでに大多数のマラウイ人について言えば、彼らの秤が指令するのは、例えば、衣食住の確保のこと、家族のこと、宗教のこと、異性についてのことだけだろう。

 

カムクワンバは最貧国のアフリカ人だが、同じように限られた一握りの人間なのである。

 

 

 

 日本人、もっと広く言えば、先進国の大衆は「学ぶことの意味や大切さ」を忘れてなどいない。

 

そもそも、カムクワンバ的な学びには価値を見出せないだけである。

 

 

 

 

⑤本書から学べること

 

それでは、この本は我々にどのようなことを示唆しているか。

 

マラウイの社会では多産多死により、多子若年齢化が進んでいて、子供がぼこぼこ生まれている。 そんなマラウイでも日本と同じように赤ん坊にはよだれかけをかけるらしい。 さすがに先進国のようにおしゃれなデザインだったりはしないようだが。。 (1)奇抜なアイデアを実行に移す際には野次が入ること。

 

奇抜な行動対して、社会の目は冷たいことはどのコミュニティーでも共通してみられる現象である。

 

その行動が社会に直接迷惑をかけるかけないに関わらず、コミュニティーは常に異常者を排除したがる性質を持つ。

 

その後の成功による手のひら返しもまた同様だ。仮に風力発電失敗したら、彼はどうなってたんだろう。

 

 

 

 

(2)理解者・協力者の存在が重要であること。

 

カムクワンバが困難に陥ったときに、幾度と無く金銭的・精神的な支えとなった友人がいた。

 

何かを成し遂げる上で、こういった存在は非常に重要なファクターとなる。

 

 

 

 

(3)課題(改善)意識と関心を持ち続けること。

 

カムクワンバがマラウイ社会に持っていた課題意識と彼の動力に対する興味がつながったことで、

 

彼が風力発電を製作するきっかけとなった。

 

 

 

 

(4)社会変革には大衆の意識改革が必要であること。

 

本文中には、幾度と無く科学と魔術が対比されたり、計画性の無い農業による社会の悪循環や

 

無知によるHIVの蔓延が嘆かれている。「1に教育2に教育3に教育である。」も印象的

 

 

 

 

(5)大規模な成功は社会を巻き込むことで得られること。

 

風力発電が有力者の目に留まり、協力者を得、メディアに取り上げられ、様々な力を得、

 

彼の周囲に劇的な変化をもたらした。

 

 

 

 

石橋を叩いて渡るどころか、じっくり眺めてから叩いて匍匐前進する私にとっては、

 

カムクワンバが次々と目標を実現していく姿が爽快であった。